
はじめに
2025年11月12日、高市早苗総理の出席する参議院予算委員会にて、榛葉賀津也幹事長(国民民主党)が「電子レンジ、サランラップ、缶詰…」といった生活用品を列挙しながら “ある共通点” を問う、いわば「連想クイズ」を突然出題した場面が報じられています。
高市総理は“即答”で答えたとされ、このやり取りがネットでも話題になっています。今回はこのクイズ質疑をめぐり、「なぜこのような形式を取ったのか」「その背景にある狙いは何か」を整理してみたいと思います。
質疑の概要
- 質疑が行われたのは、参議院予算委員会。
- 榛葉幹事長は、防衛体制の強化・研究開発費の話題に触れる中で、
「総理ね、ちょっとこの言葉から何を連想されます?“電子レンジ、サランラップ、缶詰、ボールペン、生理用ナプキン、GPS、パソコン、自動ドア、携帯電話、3Dプリンター”」といった問いを提示。 - そして高市総理は「即答」し、その共通点を答えたと報じられています。
- 報道では、SNS上でも拡散され、「クイズ形式」「生活用品」という意表をつく演出が注目されています。
なぜ“クイズ形式”だったのか?その狙いを考える

このような質疑形式、つまり「生活用品を列挙して共通点を問う」という手法には、以下のような意図・背景があると考えられます。
1. 生活感・技術革新のイメージを引き出す
電子レンジ、缶詰、生理用ナプキン、3Dプリンター…といったモノは、私たちの日常生活や技術進歩と絡んでいます。
この問いを通じて、
- 技術革新・産業構造の変化
- 研究開発や制度設計の成果
といった「目に見えにくい政策・制度」の話を、身近なモノから引き出そうという意図が見えます。
言い換えれば、「この製品があるのは単に便利だからではなく、制度・技術・政策が関係している」というメッセージを暗に提示できるわけです。
2. 緊張感のある“質疑”に変化をもたらす演出
国会の質疑は形式的で堅い印象がありますが、あえて“クイズ”という形式を導入することで、視点を変え、聞き手(国民・メディア)の注意を引こうという工夫とも受け取れます。
また、質問者・答弁者双方に「即答」「反応」が求められる形なので、答えられた側(総理)の“理解・準備”のアピールになり得るでしょう。
3. 政治的メッセージとしての活用
このような問いを通じて、質問者・答弁者双方が以下のようなメッセージを出せる可能性があります:
- 質問者(榛葉幹事長):政府・与党に「あなた方はこの技術・産業・制度とどう向き合ってきたのか?」という問いを投げかける。
- 答弁者(高市総理):「はい、私はこれらのモノ・技術が関係する制度・政策を理解しています」という姿勢を見せる。
この“理解しています”という姿勢は、国民に対して安心感・信頼感を与える狙いがあるかもしれません。
注意したいポイント・疑問点
この質疑形式には、面白さ・インパクトがある一方で留意すべき点もあります。
- 論点がぼやける恐れ:クイズ形式にすることで「何を問いたいのか」が鮮明でなくなる可能性があります。政策・制度の具体的な問題点が置き去りになるという批判もあり得ます。
- 演出優先の印象:「即答」「クイズ」という演出が強調されると、「真に議論すべき中身」よりも“見せ場”になってしまう懸念があります。
- 生活用品=技術・制度の影にある構造を見落とす:電子レンジや3Dプリンターなど技術品が取り上げられると、便利さに注目が集まりがちですが、そこに至る産業・政策・制度の過程が軽視される可能性があります。
- 国民とのズレ:質疑の場で取り上げられたモノが、必ずしも国民の「いま困っていること」「生活のリアルな悩み」と直結していない可能性もあります。視点が“技術/制度”に偏ると、実感から遠く感じられることもあります。
今回のやり取りから読み取れるもの
このクイズ質疑から、私たちが読み取るべきメッセージを整理します。
- 私たちの身の回りの「当たり前のモノ」には、技術革新・産業発展・政策制度が関与しているという視点を再確認できます。
- 政治・国会という「遠い場所」で行われる議論を、少し身近な角度から見るきっかけになるかもしれません。
- ただし、形式(クイズ)や演出(即答)が先行すると、「本当に問うべきこと」がぼやけてしまうリスクもあります。議論の深さ・具体性を私たち読者も意識する必要があります。
- 政治家・政府にとっても、このような“見せる質疑”は支持・信頼を得るための手段の一つですが、これが中身のある議論・政策立案につながっているかどうかを見極めることが大切です。
おわりに
「電子レンジ、サランラップ、缶詰…」といういかにも日常的なモノが、国会で“連想クイズ”として取り上げられ、総理が“即答”した――この一瞬の質疑には、生活・産業・政策・制度が交錯する面白さがあります。
しかし、そこにインパクトがあるからといって、議論の本質を見失ってよいわけではありません。私たち国民一人ひとりが「この問いは何を問っているのか」「私の暮らし・社会とどう関係しているのか」を少し考えてみる機会になると感じます。
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